8/14/16 今日の御言葉

マタイ6:8

あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ。

 

神は全ての事を知っておられる聖書の一例。主は、私達の事を髪の毛の数まで知っている。そして、私達が何を考えているか、声を出さずにして、祈る前から知っておられる。だから、欺く事もできない。言葉で、正しく、清い事を言っていても、心の中では正反対の事を考えていたら、その事も知っておられる。

そして、私たち一人一人が、今何が必要で、必要でないかも、私達が祈る前から知っておられる。だから、主の前では、何も隠し事ができない。

だから、思い悩んだり、お金がないと心配しても、それはもう主が知っておられる事。それは、私達に最適な時に与えられる。祈り、どこまで主の事を信じ、委ねられるのか、主に試されているのかもしれnあい。

 

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集中御言葉ー憐れみ(4)

マタイ5:7

憐れみ深い人々は、幸いである。その人達は憐れみを受ける。

 

私達の、他人に対する憐れみは、どれだけだろうか?助けを必要としている人に対する同情の気持ちはどれだけか?それは、主の愛を伝えているか?

私達も、主からの憐れみを受けた経験をした事があるか?経験した事がないのは、それを気づいていないだけなのかもしれない。主から気づかないうちにたくさんの助けを頂いている。出エジプトのイスラエル人みたいに、主に反抗している時でも、私達を主は見捨てられなかった。私達も、そういう憐れみを、たくさんの人に与えて、与えられていきたい。

8/13/16 今日の御言葉

イザヤ55:7〜8

神に逆らう者はその道を離れ、悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんで下さる。わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦してくださる。わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。

 

決断する時、毎日の生活を歩む時、主が敷いてくれた道から外れている事はないか?ちゃんと祈りある生活をしているか?と問われたら、今は、「していない」と言われてもしょうがない状況だと感じる。

祈りをする時も、全然心がこもっていない。適当だし、食事の時ぐらいしかしていない。もっと自分は、主に立ち返って、主の言葉を聞きたい。

主の計画は私達の計画と180度違う時がたくさんある。自分の計画通りいかないと、「何故?」と問いたくなる。でも時間が経っていくと、その理由が明確になり、何故主が私達と全然違う計画を持っているのか、理解できる。神様は、必要な時に、必要な回答を与えてくれる。私達と主の歩み道は全然違っても、主が敷いてくださった道を離れず、生活していきたい。

 

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集中御言葉ー憐れみ(3)

ローマ9:22〜23

それも、憐れみの器として栄光を与えようと準備しておられる者たちに、御自分の豊かな栄光をお示しになるためであったとすれば、どうでしょう。神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。

8/12/16 今日の御言葉

ローマ12:3〜8

わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった度合いに応じて慎み深く評価すべきです。というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に千年しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。

 

私達一人一人に、違う賜物が与えられています。それを、思いっきり活用して、神の栄光をたくさんの人と共に分かちあいたい。自分が、誰よりも出来ると、高慢にならず、へりくだる気持ちを忘れず、仕えて、奉仕の心を忘れずに、たくさんの人と共に自分の賜物を用いていきたい。そうするには、やはり、一つ一つ、今やっている事を集中して、与えられた仕事をやっていきたい。

 

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集中御言葉ー憐れみ(2)

出エジプト2:19

わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。

 

この箇所で、神が憐れむかどうかは、神様が決めることと告げられている。恵むのも、憐れむのも、神様次第だと書いてある。神様の憐れみをもらうには、私達も他人に対して憐れむ気持ちをもたなければならない。私達は、毎日の生活で、かたくなな心になっている時がないだろうか?そういう気持ちを持っている時に、憐れみの心は持てない。人の事を理解し、裁かず、その人の意見に一生懸命、耳を傾けてあげる必要があるのかもしれない。

集中御言葉ー憐れみ(1)

イザヤ49:15

女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女達が忘れようとも、わたしがあなたを忘れる事は決してない。

 

母親は自分の子どもの事を忘れるなんて、常識的に考えてありえない。でも、それ以上に主は私達の事を一時も忘れる事はない。主は、私達以上に、私達一人一人の事をいつ何時でも、思ってくださっている。