集中御言葉ー憐れみ(8)

ルカ1:47〜55

わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者というでしょう、力ある方が、わたしに偉大な事をなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。

集中御言葉ー憐れみ(7)

ルカ1:47〜50

わたしの魂は主をあがめ、わたしの例は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださっているからです。今から後、いつも世の人も、わたしを幸いの者と言うでしょう。力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々限りなく、主を畏れる者に及びます。

 

マリアの讃歌箇所で、たくさんの憐れみという言葉が使われています。それほど、マリアは、主の憐れみの感謝にあふれていたのでしょう。主は、どんな立場の人にも、無視せず、たくさんの憐れみと恵みをあたえてくださっている。それを私達は、喜ばずには、いられない。主がひとりひとりに、偉大な事をしてくれる。その感謝を忘れずには、いられない。

8/16/16 今日の御言葉

ヨハネ1:1〜3

初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。この言葉は、初めに神と共にあった。万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった。

 

主の力は偉大。主が言った事は、全て起こる。主は何でもできる方。でも、それは悪用せず、私達に最善な事が起こるよう、働きかけてくれるお方。

 

祈っている時、主に何か言われたら、言い訳せず、率直に仕えて、主に喜ばれる事をどんどんしていきたい。

 

私達も、世に光を与えられる存在にしていきたい。暗い所で、希望を与える、悪と善をしっかり見分け出来る様にしていきたい。

 

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集中御言葉ー憐れみ(6)

マタイ18:33

わたしがお前を憐れんでやったように、お目も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。

 

憐れみをたくさんもらったのに、それを忘れてしまっていないか?今一度、それを自分に問いただしてみる機会が与えられている。私達は、主からたくさんの憐れみを、たくさんもらっている。たくさんの憐れみをもらっているのだから、私達も、身近に人々にたくさんの憐れみを与えまくる事が大切。

8/15/16 今日の御言葉

箴言22:11

清い心を愛する人は唇に品位があり、王がその友となる。

 

しゃべり方ひとつで、私達の心の中が分かる。それは合っていると思う。棘があるしゃべり方。自分もしてしまう事がある。その時、今思い返してみると、心は嫌な、もやもやした思いで満たされていたなと告白してしまう。清いと言えば、白い色、と連想する。だから、白い、清い心で満たされて、唇を清めていきたい。

 

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集中御言葉−憐れみ(5)

Iペテロ2:10

あなたがたは、「かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている」のです。

 

私達は、主からの憐れみをもらうのは、当たり前だと理解してはならない戒められているのかもしれない。主から、たくさんの憐れみをもらっているという感謝の気持ちを忘れてはならない。主からの憐れみがあってこそ、毎日の生活が出来ている。

主から、いつも数えきれない程の恵みをもらっているのに、それを身近な人にもっと与える様にしないと。自分にとっては、妻。まだ結婚していない人であるのなら、友人と。すぐ目の前にいる人からどんどん憐れみの恵みを与えていきたい。もし、必要がないと言われれば、その人の為に祈ってあげる。それも憐れみの行動なのかもしれない。